ガチャのサッカーストーリー【幼稚園〜小学生編】

昨日更新の自己紹介(詳しい編)に続いて、今回からは私のフットボール人生を振り返る【ガチャのサッカーストーリー】を4,5回に分けて連載します。

ダラダラと振り返るだけでは本当に自己満足記事で終わってしまいます。なので、“その時感じていたこと”“こうしておけば良かったと思っていること”など、いくつかトピックスを挙げながら書いていきます。

現役で頑張っているサッカー少年たち、小さいお子様を持つ親御さん、そしてコーチをしている(目指している)方々にとって、少しでも参考になる部分があれば。完全に私個人の主観ですが、そういった意識で書いていこうと思います。

では、いきます。初回は【幼稚園〜小学生編】です。

登場人物

○家族

【父】 会社員 運動神経抜群

【母】 専業主婦 運動神経ゼロ

【兄】 4歳年上 ポジションはGK

【妹】 2歳年下 サッカー少女

○友達

【K君】 幼稚園で同じクラス 小学校、クラブチームは別々 U-13,14日本代表経験あり

【S君】 幼稚園で同じクラス 小学校は別、クラブチームは一緒 U-14ナショナルトレセン 名門高校の主将で全国選手権にも出場

○コーチ

【Hコーチ】 小学校高学年からのコーチ 当時はめちゃくちゃ怖かった

リビングにいろんなボールがあった幼少期

会社員の父、専業主婦の母、4つ上の兄、2つ下の妹。私はごく普通な5人家族の次男として生まれました。

母は「恐いから」というだけの理由で車の免許も取らない運動音痴ですが、父は運動神経がとてもいい人でした(まだ全然元気に生きています笑)。

父は学生時代バレーボールをしていたのですが、他の球技も得意で短距離走がめちゃくちゃ速い万能型。幼稚園や地域の運動会で父親リレーがあると必ずアンカーで、他のお父さんたちをごぼう抜きしていました。その光景は今でも鮮明に覚えています。

そんな父が、私に何のスポーツをやって欲しかったかは知りません。ただ家のリビングには、ゴルフボール・テニスボール・野球ボール(軟球)・サッカーボール・バスケットボールなどたくさんの球体がありました。

今考えると、これは私にとても大きな影響を及ぼしたと思っています。

家の中での遊び道具は何らかのボール。狭いリビングですが、寝転びながらボールを真上に上げてキャッチしたり、座りながらリフティングをしたり、軽くドリブルしてみたり。もちろん外で遊ぶことも多かったのですが、家にいても四六時中ボールを触っていました。小さい頃からボールへの恐怖心はゼロで、勝手に球技が得意になっていました。

家の中のモノを壊すこともたくさんありました。母にはその度にめちゃくちゃ怒られるのですが、リビングからボールが消えることはありませんでした。

両親が、子どもたち(私たち)のために意図してボールを置いていたのかは、聞いてみないと分かりません。ただ、そのおかげで3兄妹は運動(特に球技)がとても得意になりました。

強力なライバルがいた幼稚園

地域の幼稚園に入園します。同じクラスに2人、運動神経抜群な強力なライバルがいました。K君とS君です。2人ともサッカーをすることになります。

後にですが、K君はU-13,14で日本代表に入った超エリート選手。S君もU-14ナショナルトレセンを経験し、名門高校で選手権の全国大会に出場しています。2人ともプロサッカー選手にはなれなかったですが、私なんかよりも圧倒的にすごい存在でした。

彼ら2人、特にS君とは毎日一緒に遊ぶ仲良し。ただ私は、幼稚園内の単純なかけっこでも2人には絶対に負けたくない、そう思っていました。何となくそんな記憶があります。

ただの幼稚園生なので“切磋琢磨”とは言えませんが、おそらく私含めた3人はお互いをなんとなくライバル視していたと思います。仲良しだったんですけどね。

誰が最初にサッカーを始めたのかは分かりません。ただごく自然に、3人は3~4歳の頃からサッカー人生をスタートさせます。私個人で言うと、4つ上の兄がサッカーをしていた影響もありました。

年長になると、私とS君は同じクラブチーム。K君は他のクラブチームで本格的にサッカーをし始めます。

とにかく体を動かすのが楽しい、サッカーが楽しい、そして一緒にプレーできるレベルの高い友達がいる。そんな幼稚園生時代でした。

ちなみに、S君K君とは小学校はバラバラになるのですが、今後も出てくる人物なので覚えておいて下さい。

とにかくサッカーが楽しかった小学校低学年

低学年のうちは、練習は毎週日曜日だけ。ただ、その2時間がとても楽しかったことを覚えています。小学3年生になる頃には同い年のチームメートは約20人に増えました。

練習内容はほとんど覚えていません! ただ、基本となる単純なトラップ、インサイドパスは丁寧に教えてもらいました。あとはとにかくドリブルとゲーム。

「蹴るな!!」。それがコーチ陣の口癖でした。自分にボールが来た時に、逃げのてきとうなパスをすると必ず注意されました。とにかくボールが来たら1人はかわす。運べるのなら自分でボールを運ぶ。それだけは徹底されていました。

あとはとにかく楽しく!そんなチームでのびのびとプレーした低学年時代でした。

リフティング リフティング リフティング

高学年(小4~)になると練習は平日2回。土日は必ず練習試合か公式戦が入るようになりました。なので、週4でサッカーをすることになります。

ここからはHコーチが主に私たちの学年を担当。指導が徐々に厳しくなり、本格的にサッカーを教わることになります。

練習のスタートは必ずリフティングです。

インステップ100回(左右交互)、インサイド50回(左右交互)、太もも50回、アウトサイド左右各30回、頭30回。

平日の練習では、これらのメニューを全て終わらせないと全体練習に入れてもらえない。そんなことも多かったです。

試合前のアップもリフティングだけのことが多く、全て終わった選手から好きなポジションを選べることもありました。

私は小4になる頃には1000回くらいできました。なので上のメニューは余裕。5分もあれば終わっていたので、上級生の練習に混ざることもありました。ただ、半分くらいのメンバーはアウトサイド(特に逆足)で苦戦して、1時間半の練習がリフティングだけで終わることもありました。

なぜ、Hコーチはリフティングばかりさせたのでしょうか。最近会ったので聞いてみました。

「リフティングは、ボールを身体の中心に置く感覚を磨くための最も基本的な練習。ジュニア年代(小学生)の子にとって、これはとても大切。回数がたくさんできれば良いわけではない。ただ、両足でうまくボールタッチをできるようにするため、必ず左右交互、もしくは左右同じ回数できるようにさせる」

さらに、こうも言っています。

「例外はあるが、“小学生のうちはリフティングがうまい選手=サッカーがうまい選手”と言っても良い」

私も基本的にこれに同意します。現在私は少年サッカーチームのコーチをしていますが、だいたいリフティングができる子がうまい選手です。リフティングはとても効率の良い練習です(小学生のうちは特に)。

ただ、もちろんリフティングが1万回できればプロになれる訳ではありません。ダラダラとリフティングばかり長くやる必要はない。

私の考えは、“身体の中心でボールを触る感覚を身につけ、左右交互で50回くらいできれば十分”。これです。

とまぁ、話が少し脱線しましたが、私の小学校4年生の頃はこんな感じでした。

人生で初めての挫折を味わった小学校高学年

小学5年生にもなると、公式戦が増えてきます。毎週末行われる真剣勝負。遠征にもたくさん行きました。

4年生の頃までは主にFWだった私ですが、この頃からボランチになりました。学年では当たり前のようにレギュラーで、1つ上の学年に入ることも多かったのですが、ここで挫折を味わうことになります。

ボールを受けるのが怖くなってしまいました。

初めて味わう360度からのプレッシャー。実力のあるチームとばかり試合していたので、相手のプレススピードは速く強度も高いことが多かったです。

そして何より、“Hさんをはじめとするコーチ陣がめちゃくちゃ怖かった”

私がミスをするといつも大きなため息が聞こえました。舌打ちもありました。試合途中、前半3分も経たず交代させられたこともありました。完全に悪循環です。ボールを持つのが怖くなり、パスが来てもすぐに近くの選手に預けるだけになってしまいました。常にコーチ陣の視線を気にして、自分のプレーが全くできない。

サッカーが大嫌いになった時期でした。

ただ、スタメンを外されることはありませんでした。しかもずっとボランチです。今考えると、それだけ期待してもらっていたとも考えられます。

勝ち続けた小学6年生

小6になる頃、キャプテンに指名されました。この頃から私は少しずつ自信を取り戻し、サッカーの楽しさを思い出しました。コーチ陣からのプレッシャーも徐々に弱くなった。そこらへんはうまくコントロールしてくれていたのでしょう。

チームのフォーメーションは4-3-3。

小6時代のフォーメーション

図にするとこんな感じです。私は中盤3枚の中央でした。ちなみにS君は中盤の右です。

その他にも、センターバックの1人は関西のJ下部組織のジュニアユースに進んだ選手、右ウイングは全国高校総体に中心メンバーとして出場した選手、1トップは福島のJFAアカデミーに進んだ選手です。

今考えるとすごいメンバーでした。

サッカーとしては、スピードがありドリブルがうまい両ウイングがピッチ幅を広く使い攻撃をスタート。中央の1トップの選手が点を決めるというシンプルなものです。中盤3枚は攻守のバランサー。攻撃時は3人のうち2人が参加し、1人が後方でバランスをとる。守備時は両ウイングがしっかり下がって4-5-1の形になる。

そんな感じです。意外と覚えているものですね(笑)。それだけ子どもたちにも分かりやすい、シンプルで徹底された戦術でした。

このサッカーで、とにかく勝ちまくりました。公式戦も含めて、京都府内ではほぼ無敗。ただ、全国大会につながる全日本U-12サッカー選手権大会は、府のベスト8か4でK君のいるチームに負けてしまいました。あの、幼稚園時代からのライバルK君です。

ただ、最後の大会でリベンジします。決勝でK君のいるチームと対戦し、見事に勝利! 最高の形で小学生のサッカー人生を完結させ、意気揚々とジュニアユースに進むことになります。

この続きはまた明日。↓↓

第2回 ガチャのサッカーストーリー【中学生編】

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